現在、加盟団体27団体、2万人を超える会員を擁し、
尼崎市民のスポーツを支え振興の一翼を担う責任ある団体として発展し続けています。
市民スポーツ祭やマスターズ大会などを通じて、スポーツの健全な普及を図るとともに、
ジュニア競技力向上事業として、小中学生の優秀選手を強化し、全国大会等で活躍する選手の育成に取り組んでいます。
体育協会加盟団体の指導者層を対象として、スポーツ指導者講演会を実施しており、
選手の育て方や指導のあり方や指導のあり方について重言や 提言を頂き、体育協会加盟の各団体のレベルアップに努めています。
子どもから、高齢者まで年齢を問わない幅広い市民スポーツ・レクリエーションの
普及・振興を図るためにスポーツのまち尼崎フェスティバルを実施しています。
尼崎市のスポーツ関係者すべての人々の励みになる表彰として、
スポーツ賞・スポーツ敢闘賞を制定しています。
1947年 | 尼崎市体育協会結成(以下協会) 初代会長 六島誠之助市長 | |
1950年 | 第二代体育協会会長に森孫次郎就任 | |
1956年 | メルボルンオリンピックサッカー競技に佐藤弘明出場 | |
1957年 | 体育協会加盟団体数(18協会3体育連盟) | |
1958年 | 第三代体育協会会長に板垣安夫就任 | |
1961年 | 第四代体育協会会長に小倉大造就任 | |
1965年 | スポーツマン会館設立の陳情を市に提出 | |
1966年 | 市制50周年記念事業 | |
1968年 | スポーツ少年団設立・メキシコ・オリンピックの水泳競技に丸谷里志出場 | |
1971年 | スポーツ指導者講習会開始 | |
1973年 | 第五代体育協会会長に中馬勇就任 | |
1975年 | 体育協会スポーツ賞制定、総会会場で表彰式実施 スポーツ少年団本部、兵庫県スポーツ賞を受賞 |
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1976年 | モントリオール・オリンピックのウエイトリフティングに藤代充彦出場 | |
1980年 | 市民スポーツ祭30周年記念大会開催 | |
1981年 | 体協シンボルマーク制定 | |
1983年 | 各単協会長による「参与会」開始(サンシビック) 秋季市長旗(杯)大会の総合開会式を、体育協会主催で実施 |
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1984年 | 体育協会とスポーツ少年団本部との意見交換会開始 | |
1985年 | 競技力向上委員会を設置・専門委員会を設立する規約の改正 | |
1986年 | 体育協会40周年・市制70周年記念関連事業開催 尼崎市体育協会40周年記念式典開催「尼崎体協40年のあゆみ」発刊 | |
1987年 | 組織強化検討委員会設置 | |
1988年 | 体協事務所移転・総合体育館開館記念事業として「体協フェスティバル」開催 新総合体育館で、体協主催市長旗(杯)大会総合開会式開催 |
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1989年 | 組織強化委員会、体協専従職員の配置や賛助委員制度につき検討案提出 第六代体育協会会長に中田富美雄が就任・体協の活動を支援する賛助会員制度発足 |
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1990年 | 市民スポーツ祭40周年を迎える | |
1994年 | 理事会に生涯スポーツの振興を図る事業計画が提案 資金検討委員会を常任理事会内に設置 |
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1995年 | 阪神淡路大震災で被災、事業計画に多大な影響が出る 平成8年度に市体協50周年を迎え記念事業計画作成に取り組む | |
1996年 | アトランタオリンピック水泳競技に松下幸広、ウエイトリフティング競技に納富俊行参加 体育協会50周年、市制80周年記念関連事業スポーツスクールフェスティバル開催 |
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1997年 | 「尼崎体協50年のあゆみ」発刊 、祝賀会開催 | |
2000年 | 市民スポーツ祭50周年を迎える | |
2001年 | 競初めてのスポーツ指導者養成講習会を開催・阪神体育協会連絡協議会を発足する 第七代体育協会会長に一谷宣宏が就任・事務局をスポーツ振興室に設置 |
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2003年 | 体協の理事は各加盟団体の理事長であることを規約に定める | |
2004年 | ジュニア競技力向上事業実施要項を作成する(競技力向上委員会の規定の改正) | |
2005年 | JR尼崎列車事故で総合体育館が使用不可能になり、大会運営に多大な影響が出る 平成18年度に市体協60周年を迎え記念事業計画作成に取り組む |
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2006年 | 60周年記念事業開催・イベント事業・総合開会式事業・顕彰事業(陸上競技場) 60周年記念祝賀会開催(総合体育館) |